生い立ちの記

ちょっと人生を振り返ってみたくなりました。

アクセス数記念、本題、腸重積

努力の結果、ついに総アクセス数が1に達しました!

平素よりのご支援、誠にありがとうございます。

 

「読んでくれる人がいる」

 

これでこのブログも本題に入っていけるというものです。

 

タイトル生い立ちの記ということで、人生を振り返って幼少期の話から書いていきたいと思います。

 

 

自分が思う最も古い記憶としては、3歳の頃に腸重積という病気になったのですが、当時のことはよく覚えています。

その時は幼馴染がうちに遊びに来ていて、ヤクルトを一緒に飲んでいました。

するとなぜか猛烈に腹が痛くなり、我慢ができなくなったのです。

 

あまりの痛みに2メートルくらい飛び跳ねながら泣きました。3歳で2メートル跳ぶのだから痛みは相当なものです。ただそれでもヤクルトを残すのは惜しいので、泣きながら跳ねながらあいまあいまで飲む、といった状況だったと思います。

 

祖父の運転する車で母と病院に向かう間もずっと僕は飛び跳ねていました。車の天井に狂ったように頭をぶつけていて、腹よりも頭が心配になったと母は言っていました。

 

病院での記憶は少し曖昧なのですが、僕には自分の体がモザイクがかかったように見えていました。なぜだかはわかりません。ものすごい恐怖を感じ、何度も叫びました。

 

「ぼくを元の姿に戻してくれYO!一刻も早く戻してくれYO!」

 

3歳とは思えないセリフだったと母は言います。なぜか語尾がラップ調だったのも解せなかったとのことです。

 

結局そのモザイクに見えたのがなんだったのか、今でもよくわからないのです。

幻覚だったのか、現実だったのか。

 

それが僕の思い出せる一番古い記憶です。

 

 

ブログの閲覧数

先日初めてのブログで自己紹介を書いたところ、訪問者は0でした。

 

そういうものなのでしょうか。

 

たまたま見るとかもないのでしょうか。

 

自己紹介とはいえ偶然でも来た人が少しでも楽しく読めるようにと、自らの脱糞まで暴露した私の覚悟はなんだったのでしょうか。

 

この1日、何度も訪問者数を確認しました。

昔、とあるアンケートで携帯電話の一番よく使う機能を聞かれた時に書いた答えが「センター問い合わせ」だったことを思い出しました。

 

このまま閲覧数0のまま、どこまで自分の心が折れずにやれるか試してみたいと思います。

 

自己紹介

自営業でカメラマンをやっているものです。

 

そう書くとかっこよく感じるかもしれませんが、そんなたいそうなものではありません。地方で細々とつつましく働いている、吹けば飛ぶような写真屋です。

 

それでもなかなか仕事は楽しく、夫婦二人なんとか食べていけています。

幸せなことです。

 

しかし、最近その幸せにも暗雲が立ち込めてきました。

 

夕食後、私がいつものように妻にむけて「バブリ」と放屁した時のこと。

 

 

信じられないくらい、漏らしていました。

 

 

「ゆるくなっている」

 

その出来事によって、私は意識せざるをえなくなりました。自分に忍び寄る「老い」、そしてその先にある「死」というものを。

 

これまでの人生の軌跡を何かの形で残しておきたい。

それがブログを始めた理由です。

 

こんな私ですが、よろしくお願いいたします。